国見山(宍粟市)

 2020年11月29日


宍粟市の国見山にやってきた。登山口には宍粟50名山のひとつとあるが、宍粟市だけで50もの登山対象の山があることに驚いてしまう。今のところ段ケ峰をはじめ3座しか登れていない…。



国見山を含む広大な土地は県立国見の森公園として整備されている。372haというから、およそ2㎞×2㎞だ。山頂まで18分というミニモノレールまで敷設されているのだけれど、もとよりモノレールなど利用する気は無かったけれどコロナ禍のため運転は休止している。



公園事務所に入山届を出してスタートする。国見山に直接向かうのではなく、外周線と呼ばれる登山路で大きく迂回して歩いていくことにする。しばらくは整備された林道だ。モノレール軌道が随分と急勾配だ。なんだか一度乗ってみたくなってきたぞ。



砂防ダムの前にある丸木橋を渡ると、急に登山路っぽい道へと変わる。人の気配はまるで感じられない。



道も細く荒れたものになってきた。予定していたルートは一旦500mほど登り、その後下って再び標高465mの国見山に登りなおすというものだ。



長谷山遊鶴寺跡まで登ってきた。天台宗の大寺院だったらしいが、秀吉の播磨侵攻の際に周辺の城とともに焼き払われたという。今や何の遺構も見当たらず、イチョウの葉が寺院跡を黄色く染めている。



遊郭寺跡からの道が急に分かりにくくなる。ピンクのリボンはあるのだけれど、ホントにここを登るのかぁ? 簡単にずり落ちてしまいそうな柔らかい土の斜面を進んでいく。先行のハイカーがずり落ちたトレースがいくつも見える。



道なき道を草をかき分け登ると、急に普通の登山道に出てくる。どうも道を間違ったようだ。あらためて登ってきた坂を見下ろすが、道らしきものも見えず、どこをどう登ってきたのかさえ分からない。



YAMAPのコースマップを見ながら歩いているのだけれど、思う方向に道が見つからないことが何度もあり、迷ったり、引き返したりを繰り返す。YAMAPが示すルート(赤)に対しての実際に歩いた道(青)の迷走具合が情けない…。



柏原城跡に向かって更に標高をあげていく。



入口からすぐに城跡かと思いきや、20分ほども歩かなければならないようだ。杉の植林を縫うか細いトラバースを進んでいく。



柏原城跡。残念ながら看板があるだけで遺構ばかりか由緒についてさえなんの説明もない。調べてみると、赤松氏傍流の長水山城の宇野氏の支城だったようだが、秀吉軍の攻撃で落城したらしい。



柏原城址からの眺望。正面の山がこれから向かう国見山だ。その向こうには、以前登った尖がった明神山などの山々が望める。



柏原城址から杉林のなかを一旦下山していく。このあたりで今日のトレッキングの中間地点といったところだ。



柏原城址がある西側の山地から、国見山のある東側の山地へと移動すると、急に整備されたハイキング道になる。いくつかの休憩所や展望台もあり、案内板も充実している。



まあ、整備されたハイキング道だからといっても、登り坂を端折れるはずもなく、延々と続く丸太階段を登っていくことになる。それでも西側山系と比べれば随分と歩きやすい。



路面は適度に柔らかく、かといって柔らかすぎもせず、とても歩きやすい。よく見ると大量のウッドチップが路面に敷き詰められている。とても贅沢なハイキング道だ。



紅葉のピークはとうに過ぎてしまったが、それでも、名残りの紅葉もチラホラと楽しむことができる。



国見山の山頂にやってきた。標高465mの頂上には地元の杉の木で造られたという展望台が聳えている。入山後、ここで初めて人に出会った。多くの人は国見の森公園から国見山まで直行で登って下りるようだ。



帰路は急坂とはいえ、よく整備された山道を下っていく。前半が荒れた道、後半が整備された道の順で歩くのは体力的にも気分的にもとても楽だ。



下山路途中にある休憩所。モノレールの斜度はここでもキツイ。公園内で何体も見かける木彫りのイノシシがここにも設置されている。



下山口の国見の森公園に戻ってきた。赤い牡丹の花(山茶花かも?)がお疲れ様というように出迎えてくれる。下山報告のために立ち寄った公園事務所で、近隣の温泉の半額割引券を頂戴した。長水山登山のついでにでも立ち寄ってみたいものだ。



下山後、せっかくの機会なので公園から歩いて10分ほどのところにある比地の滝を見に行くことにする。美しい渓流に沿って上流を目指す。



岩の隙間から落差約12mの一条の滝が流れ落ちている。夏になると白ウナギがこの滝を登るという伝説があるそうだけれど、細長く流れる滝の姿そのものが白ウナギにも見えるような気がする。



本日の歩行軌跡。歩行距離は約8㎞、滝見物を含めて所要時間は3時間半ほどだった。途中危なっかしく判りにくい道もあったけれど、総じては気楽な疲れの残らない山歩きだった。