黒井城跡探索(丹波市)

2020年7月12日

先日探索した波多野秀治の八上城(丹波篠山市)と連携して、丹波を攻略する明智光秀を大いに苦しめた赤井直正の黒井城(丹波市)を訪問する。駅前にあるパネルを見てここもまた竹田城同様に雲海を楽しめる城と知る。訪問する季節を間違ったかも…。



JR福知山線の黒井駅。16年前に全50コースを踏破したJR西日本が主催した「駅から始まるハイキング」で訪問して以来。当時はまだ氷上郡春日町だったけど、その直後氷上郡6町が合併して丹波市となった。悲しいことに駅前の風景にまるで見覚えがない…。



駅前のロータリーには黒井城跡のモニュメントが設置されている。といっても、低い石垣を並べているだけなんだけど…。どうやらNHK大河「麒麟がくる」に黒井城が登場することを記念して最近造られたもののようだ。



駅前にはコロナ対策啓蒙でマスクを着けさせられた少女時代の春日局の銅像もある。徳川家光の乳母であり、大奥の創設者として知られる春日局の出生地として31年前のNHK大河の舞台となった。今回の大河記念も「丹波の赤鬼」赤井直正の銅像が良かったのに…。



駅から北へ約1㎞、春日局の出生地、興禅寺にやってきた。門前にある春日局庵という情報展示室には黒井城主赤井直正を描いた旗が立っている。「黒井」の主が「赤井」というのは冗談のような組合せだけど、実際冗談のように強く光秀軍は何度も苦杯を嘗めさせられている。



興禅寺は堀に囲まれた城館のような趣だ。それもそのはず、直正の病死で弱体化した黒井城を落とした光秀からこの地を任された筆頭家臣であり春日局の父であった斎藤利三の屋敷だったところなのだ。



興禅寺の裏手が黒井城への登山口になる。駐車場には何台もの車が並んでいる。意外にも多くの人が黒井城に登りにきているようだ。



登山ルートは、急坂コースとゆるやかコースの2つ。急坂の下りを避けるため、急坂コースで登り、ゆるやかコースで下りる周回ルートで行くことにする。が、いきなり延々と上に続く階段から始まる。



階段の後もごつごつとした登りの道が続く。登山口にはくどい程に「登山に適した靴を履いて登れ」との注意書きがあったけど、春日町の散策ついでに裏山に立ち寄るような気軽さで登り始める人が少なくないのだろう。



本丸までの距離表示が100mおきに立てられている。険しく眺望も楽しめない道が続くが、ベンチもいくつか設置されているなど、山歩きに不慣れな来訪者への優しい配慮が見られる。



「太鼓の段」に向かう細い脇道に入る。ジメジメとした薄暗い雑木林に多種のキノコが見られる。先日タマゴダケを発見したばかりなので、今日も写真を撮りまくって図鑑と照合するが、キノコって幼菌と成菌では全然姿が違ったりして判別は極めて難しい。



太鼓の段。本丸を中心とした曲輪群とは独立した城郭東側の防御施設のようだ。今はただの広場のようになっているだけで説明板も無く、太鼓の段と名付けられた由来も不明。太鼓で敵の襲来を本丸に知らせたのだろうか。



本道に戻り、ゆるやかコースとも合流。いよいよ本丸方面に向かって最後の急斜面を登っていくと、急に岩肌が露出した道へと変わる。木々も疎らになり、久しぶりに直射日光を浴びる。



東曲輪跡にやってきた。典型的な野面積みの石垣が残されている。古い石垣を保存するために壊さないように、石垣を回りこむような簡易階段が設置されている。



三の丸、二の丸、そして本丸が、連続して段状に配置されている。もっともその段差は僅かしかない。元からの地形とは思えず、おそらくは山を削って平坦にしたのだろう。頂上部分の本丸を中心に多くの兵を詰めることができそうだ。



頂上には保月城(黒井城の別名)跡の石碑が立つ。月が美しく見える城ということだろうか。



下を眺めると黒井城がいかに急峻な山城であるかが判る。山深い辺境と思われがちな奥丹波地方だけど、山頂から見渡すと意外なほどに平地が広がり、米の収穫も多い豊かな土地のように感じる。



下山途中に立ち寄った「石踏みの段」に赤井直正の招魂碑がある。側面には、光秀軍を黒井城に釘付けにしつつ、背後を八上城の波多野秀治に襲撃させた世に名高い「赤井の呼び込み戦法」など、生涯不敗を誇る直正の事績が刻まれている。



石踏みの段には、赤門が建てられている。別なところの寺院にあったものを移設・修復したものだというが、今は登山者の休憩のための東屋のように使われているようだ。



威圧感満載の城址見学の興奮を冷ましながら九十九折になった「ゆるやかコース」でのんびり下山する。



木々の向こうに豊富な水量の渓流が見える。山々の全体に曲輪や堀切を配置して要塞化したうえに水にも困ることがない難攻不落の城であったことが窺い知れる。




あらためて麓から見上げると黒井城主郭の規模の大きさがよく見てとれる。甲陽軍鑑では全国の名高き武将に筆頭に挙げられていた知勇兼備の赤井直正が病死してほどなく黒井城は落城した。いかな堅城であっても、それを活かすも殺すも人次第だということか。



列車は1時間に1本。時間調整も兼ねて黒井城の西側にある兵主神社を参拝する。兵主とは兵庫(つわものぐら、今でいうところの武器庫)の守護神だそうだ。ということは兵庫県の守護神とも言える、というのは話が飛躍しすぎだろうか。



黒井駅から帰路につく。福知山線は篠山口以北は単線。ホームは2面あるが上りも下りもほとんどの列車は駅舎に近いホームを発着する。以前同様の構造の駅で、もう片方のホームで待っていたため、数少ない列車に乗り損ねるという苦い経験をしたことを思い出す。



本日の歩行軌跡。往復4時間、4000円もの電車賃をかけてやってきたが、滞在時間は僅かに3時間、歩行距離もたったの6㎞。でも来て良かった。雲海のシーズンに再訪したいものだ。