白旗城跡探索(上郡町)

2020年7月17日 ①


上郡町の白旗城を訪問する。建武の新政が瓦解し、足利尊氏派と後醍醐天皇(+新田&楠木&北畠等)が対立するなかで、九州に敗走した尊氏を追撃する新田軍6万をこの白旗城で食い止めたのが赤松円心だ。そんなことで近年「落ちない城」として盛り上がっている。



智頭急行の河野原円心駅からスタート。地名の河野原に、この地を本拠とした円心とを組み合わせた大胆な駅名だ。もっとも智頭急行には宮本武蔵駅まであるのだから驚くこともない。高架線だが駅舎は至ってシンプル。駅前の建物はギャラリー兼待合所兼トイレだ。



駅から千種川を渡って登山口までが約2㎞。円心ゆかりの寺社や居館跡(今は昆虫館になっている)に寄り道をしながらゆっくりと歩いていく。実は約30年前に歴史好きの仲間と城攻めと称して白旗城跡に登ったことがあるのだけど、山道でひどくバテてしまったのだ。



白旗山が道の前方に見えてきた。ここでの戦いの無様さが新田義貞の将器が低く評価される理由になりがちだけど、50年来の新田贔屓としては色々と反論したいところだ。太平記の兵数などいい加減極まりないし、こんな山城に6万もの兵を張り付けるはずがない。



登山口はイノシシ柵を兼ねた立派なゲートになっている。ここにも「落ちない城」の立派なパネルがあるのだけど、赤松満祐が将軍足利義教を暗殺した嘉吉の乱でこの城は落ちたはずだと思うんだけど…。



ゲートを過ぎてしばらくはのんびりとした林道が続く。いやこんな緩い道ではなかったはずだ、と過去の記憶を思い起こしながら進んでいく。



しばらくすると、トイレやベンチがあり、なんと「落ちない城」に縁起を担いだ合格祈願の絵馬の自販機がある。なぜか英語表記では合格ではなく単にSuccess祈願になっている。



嘉永2年建立(黒船来航の直前)のお坊様(ひょっとして円心?)の石像がある。台座は道先案内になっているのだけど、指し示す人差し指が斜め45度上方を指している。ここから急坂が始まることを示しているようだ。



石がゴロゴロと転がる坂を攀じ登るように歩いていく。投石攻撃にも陣地構築にも使える石が大量にあることが守城には実に好都合であったことは間違いない。石の上に動物の糞が見られる。鹿とか兎のようなコロコロした乾燥したものではない。イタチだろうか?



苔むした石と鬱蒼とした森。緑一色の世界に包まれながら息を切らして登っていく。石に足を取られてどうしても視線は下向きになり前方や側方への警戒は疎かになる。しかも1列縦隊で進むしかなく、敵の出現に対する反応力も反撃力も大幅に低下してしまう。



石だらけの急坂を延々と登りきり、ちょっとホッとしたところでは、さらには土塁のようなものが待ち構えている。こんな城を力攻めするのが無意味であることは、楠木正成の千早城や赤坂城で鎌倉幕府軍が酷い目に遭ったことを知る義貞は十分承知していたはずだ。



やっとの思いで谷合の急坂を登り切る。仏ヶ垰と呼ばれる三差路に辿り着いた。このまま進めば山を越えて野桑の集落へと続くが、ここからは写真前方に向けての尾根道を伝って白旗城跡へと向かう。



尾根道も決して平坦ではない。堀切などが施されているうえに、大きな岩が行く手を遮り直登を許さない。進むためには上方からの弓矢や投石の攻撃に対して無防備にならざるをえない。



しかも曲輪は、急坂の上に設置されている。こんなトコ行きたくない、という新田軍兵士の溜息が聞こえてくるようだ。足取り重く岩山を登っていくポンコツハイカーを嗤うようなホトトギスの囀りが四方から聞こえてくる。



ゴツゴツとした岩山の上にある櫛橋丸曲輪に登ってきた。広くはないが、こんなところなら小兵力でもかなりの敵に対抗できそうだ。



坂を上ったり下ったりを繰り返し、二の丸跡などを経てようやく本丸跡に辿り着いた。ここが白旗山の頂上。一等三角点も置かれている。



頂上からの眺望。室町時代に播磨・美作・備前の3国を支配した赤松氏の本城にしては随分と不便なところにも感じるが、防御に優れているばかりでなく、3国の中間点にあるため、いずれの国にも睨みを効かせることができる好立地だったのだろう。



本丸跡には、絵馬掛所が設置されている。絵馬掛所は本丸跡以外に、河野原円心駅と登山口付近の自販機の横にも見られた。兵庫県の西端で、神戸より岡山の方が近い場所だけれど、ヴィッセル神戸の必勝祈願の巨大絵馬も掛けられている。



白旗城跡をたっぷりと見学し、再び仏ヶ垰に戻り、野桑方面へと下山していく。こちらの方がやや緩斜面だが、それでも落葉に覆われた坂道を下っていくのは骨が折れる。



河野原側からの道と同様、こちらも苔むした石がゴロゴロと転がるハイカー泣かせの道が続くが、どうしてもこの城を攻め落とさねばならないとするなら、河野原側(おそらく大手)より、野桑からの搦手に主力を置きたいと感じる。



この季節、恐ろしいのはヤマビル。開口部を極小化した服装に、塩まで準備してきたのだけど、幸い遭遇しないまま山道も終盤となりホッとしていたところでヤマビル駆除をしているご夫婦に出逢う。意外にもこの安全そうな道がヤマビルの最多発生エリアだそうだ。



今日もたくさんのキノコに出逢う。特に藪のなかで太陽の光を反射して黄色く光るキノコはなかなかのものだ。どうやらキタマゴダケの幼菌のようだ。キノコの判別は超難しいけど、もしそうなら結構レアなものに出逢ったのかもしれない。



野桑のバス停。コミュニティバスと神姫バスの2つの路線が通り、立派な待合所まであるんだけど、上郡駅までの本数は午後に僅か3本ほど。バスが来るまで、農作業をしている人などが話しかけてくれた。どなたも気さくな方ばかりで、ホッコリした気分になる。



上郡駅前で見つけた上郡町のマンホール。踏みつけるものなのでマンホールには人物が描かれないことが多いのだけど、ここは無骨で狡猾(と勝手なイメージを持っている)な赤松円心が随分と可愛く描かれている。右はスプリングエイトのマスコットらしい。



本日の歩行軌跡。歩行距離は僅かに7㎞ほどだけど、やはり白旗山はキツかった…。標高グラフでは、河野原からの道が野桑側に比べてかなり急勾配であることがよく判る。



河野原円心駅に向かう智頭急行で、古木信号場という一線スルー方式の珍しい列車退避線に出逢った。単線の路線で駅でも何でもないところで、上下線がすれ違う施設だ。あまりにも珍しい光景だったので別項でアップしたい。