竹田城址 雲海観望(朝来市)

 2020年10月2日


長年行ってみたいと思っていた「天空の城」竹田城に出かける。雲海に浮かぶ城址を観ることができるのは9月から11月の3ヶ月しかなく、そして何よりも厄介なことに、日の出の前には現地に到着していなければならないのだ。



さらに雲海発生は各種天候条件が整わなければならない。前夜に発表される雲海予報が「期待できる」と報じたのを確認して、夜中の2時過ぎに自宅を出発する。


早朝4時過ぎに雲海展望ポイントで有名な立雲峡の登山口に到着。早く到着しすぎたと思ったけれど、既に50台収容の駐車場は満杯寸前。東北や九州を含む他府県ナンバーが過半でここで徹夜した人も多そうだ、協力金300円をポストに納め、真っ暗な山道へと入っていく。



3つある展望台のうち、最も高所にある第一展望台を目指す。ガイドマップによれば徒歩30~40分とあるが、それって日中のことなんだろうか。ヘッドライトを頭に装填するものの視界は狭く、ゆっくりと歩を進めていくしかない。



ただ、ほぼ満月で僅かとはいえ月明りがあり、前後には人の気配や明かりも感じることができるので、怖いということはない。山道はよく整備されているので、慣れてくれば、そこそこ普通に歩けるものだ。ただし未明のことなので気温は13度とかなり肌寒い。



30分ほどで標高354mの竹田城址より70mほど高い第一展望台に到着。夜明けまで未だ1時間以上もある。しばらくはライトアップされた城址が夜空の奥に見えるばかりだったが、夜明け30分前頃にライトアップは消え、払暁の空に漂う大雲海が目の前に姿を現し始めた。



山上に累々と横たわる石垣群が視認できる。幸いにもかなり条件の良い日に登頂できたことを実感する。立派なカメラを三脚に立てている人に取り囲まれて、スマホを構えているのはは恥ずかしくもあるが、雲海に浮かぶ竹田城址をそれなりに撮影することができる。



5時57分の日の出時刻にもなると、竹田城址の姿はより明瞭になってくる。ところが雲海がどんどんと膨れ上がり、山頂を覆わんばかりになってきた。まるで生き物のように雲海はダイナミックに姿を変えていく。



いつまで見ていても飽きない風景だけれど、日の出直後の6時、後ろ髪を引かれる思いで下山を決断する。展望台が大混雑してきたこともあるが、雲海が消えないうちに竹田城址に登るという欲深い計画を達成するためには時間の余裕は無い。



漆黒の闇のなかを登頂してきたときには、まるで気づかなかったけれど、立雲卿の登山路にも見どころは多い。これは夫婦檜と名付けられたもの。真ん中の太い檜(夫)が偉そうにしているが、実際に巨岩を支えているのは右側の細い檜(妻)ということらしい。



立雲峡は、無数の奇岩・巨岩が散在するなかに樹齢300年以上とも言われる老桜が群生していることで有名なところ。苔むした岩の中で節くれだった老桜が爛漫と咲き誇る様はさぞ趣き深いものだろう。いつか春にゆっくりと再訪してみたいところだ。



急いで第二展望台まで下りてきたが、既に竹田城址は雲海に呑み込まれてしまっている。それでも展望台には雲が払われるのを我慢強く待つ多くの観光客の姿が見える。



立雲峡から竹田の街中まで急いで下りてきた。古い酒造場を活用した観光施設までやってきたが、まだ朝7時を少し過ぎたばかり、未だ営業しているはずもない。正面の竹田城址のある古城山(虎臥山)は真っ白で何も見えない。こんななかを山に登っていけるのだろうか…。



古城山に寄り添うように設置されているJR播但線の竹田駅は白い朝霧に包まれている。ここが雲海の底なんだと思うと、見慣れつもりの朝霧も違ったものに見えてくる。



線路と古城山に挟まれた僅かな平地には寺町通と呼ばれる美しい道が続いている。細い水路に沿って城下町らしい松並木と白壁が並ぶ閑静で清潔感のある道だ。最後の竹田城主、赤松広秀の墓所も見える。関ケ原の戦いで西軍に付き、その後広秀は切腹、竹田城も廃された。



さあ、いよいよ駅裏登山道と名付けられたルートで竹田城址へと登っていく。立雲峡はあれほど賑わっていたのに、竹田城址へと登る人の姿は他に見当たらない。それにしても、あの分厚い雲海を突き抜けて山頂に無事到達できるものなのだろうか。



登り始めると、あたりは霧が立ち込めているが、安全に山登りができるだけの視程は十分にある。あるいは、既に雲海が消えかけているのかも、とも思われ、急ぎ足で坂道を登っていく。



手強い(段差が高い)石段が続き、息が上がってくる。立雲峡での足腰の疲れはほとんど残っていないつもりだけれど、石段を登るにつれ体がどんどん重くなってきたように感じる。古傷の右股関節の痛さや動きの悪さには慣れているつもりだが、普段の数倍は具合が悪い。



7時半に頂上の竹田城址に到着。入城料金500円を支払い、北千畳と呼ばれる曲輪から城内に入る。思いのほか立派な石垣に驚くと同時に、空の青さを見てガッカリする。朝8時頃までは雲海が残っている可能性が高いと聞いていたが、無理だったか…。



と、半ば諦めて北千畳に入ると、二の丸から本丸にかけての城壁に雲海が迫っているではないか。おそらく立雲峡から見れば、竹田城址だけが雲海の上に頭を出しているような状態になっているはずだ。



やや標高が低い南の曲輪(南千畳)は白い霧に覆われている。曲輪の向こう側の山間はすべて真っ白な雲海で埋め尽くされている。四方八方どちらを見ても幻想的な光景が広がっている。



花屋敷と名付けられた西の曲輪方面に目を転じると、抜けるような青空のもと、真っ白な雲海が山間を埋め尽くしている。これほど本格的な雲海を目の当たりにするのは、高校時代(45年前‼)に北アルプスに登った時以来ではなかろうか。



雲海は、真綿がギッシリと詰め込まれているかのようで、その中に入れば視程など殆ど無いと感じられるのだけれど、白い霧に向かって歩いていくと、不思議と霧が後ずさりしていくかのように視界が広がってくる。



雲海ばかりが注目されがちだが、竹田城址の遺構の保存状態には驚かされる。数多くの山城址に登ったけれどこれほどの遺構が廃城後400年以上も経ってなお残されていることは奇跡的なことだと思う。



保存状態ばかりではなく、縄張りの立派さにも驚かされる。約350mの急峻な山の頂上部を均して三方に曲輪を張り出したうえに穴太積みの高い石垣を全周に配するという徹底防御ぶりだ。たかが2万石ほどの大名にこれだけの城を築く力があったことにもビックリだ。



天空の城を満喫し、往路とは異なる道(表米神社登山道)で下山する。こちらの方が、多少は整備された道に感じるけれど、やはり観光気分で気楽に登れるものではない。でも少々苦労しても訪問の価値は十分すぎる。城址に10人ほどしか人が居なかったのが不思議だ。



朝8時半、下山完了。振り返れば雲海はすっかりと消え、真っ青な空が広がっている。山も頂上の石垣群もはっきりと見える。



様々な幸運に恵まれて、立雲峡と竹田城址の双方で雲海を楽しめることができた。いつもの歩行アプリの起動を失念してしまったが、夜間であることを除けば全く無理の無い歩行距離だ。他の人のブログを見ても、同じことをした人の記録が見当たらないのが不思議だ。