妖怪ベンチ巡り(福崎町)

2020年8月19日


姫路市の北に位置する静かな山間の町、福崎町で妖怪が跋扈しているらしい。遠野物語などで国内各地の妖怪の民間伝話の研究で有名な民俗学者の柳田國男が福崎町の出身でることから、妖怪での町おこしを図っているとのことだ。



JR播但線の福崎駅では早速河童のガジロウ(河次郎)が出迎えてくれる。15分に一度水槽の中から泡を吹きながら「ようこそふくさき」のサインボードを持って登場する。ガジロウとは柳田國男の著書に登場する悪戯好きの河童の名前だそうだ。



人口2万に満たない町のローカル駅としては随分と立派な駅舎だ。駅前には「県下八景七種瀧」の石碑がある。涼しくなったら七種山に登ってみるつもりだ。それにしても県下八景の他の七景はどこだろうか。調べてみても判らない…。



駅で入手した「妖怪ベンチマップ」を使って全制覇を目指そう。駅近のお寿司屋さんの前で天狗を発見する。熱心に仕事をしているようだけど、パソコンの画面には将棋の棋譜。調べてみると96年竜王戦第二局(谷川vs羽生)。谷川の光速の寄せが炸裂した名局だ。



商工会議所の裏にある温浴施設のエントランスのベンチに雪女が座っている。さすがの雪女もお風呂には苦手のようだ。もっとも今日は外の気温も湿気も浴場並みだ。



妖怪ベンチマップには記載が無いのだけれど、雪女の傍には透明人間のベンチがある。これはズルいぞ。



レトロな建物も多く見られる駅前の商店街を東へと進む。お肉屋さんの前には猫娘がいる。牛肉だけでなく猪肉や鴨肉も扱っているお店の前だけに、猫娘も御馳走にありつけるのだろう。



さらにスーパーの前には自撮りしている筋肉モリモリの赤鬼がいる。妖怪ベンチには、カウンターが設置されている。ここに座った人はカウンターを押せとのことだ。何に使うのかは判らないけれど、あまりにも日差しが強すぎて座る気になれない…。



市川を渡る。JR播但線と並行して姫路まで続いている川だ。詳しい経緯は知らないけれど福崎の市街地は市川で東西に分断されているようだ。駅があるのは西側の端っこで、町の中心は市川の東側になっていて駅からは2~3㎞も離れている。



市川の東側にある妖怪ベンチを南側からひとつずつ片付けていく。中国自動車道の福崎IC近くのコンビニ前のベンチには一反木綿が座っている。水木しげるのゲゲゲの鬼太郎に登場する一反木綿と比べると忠実に一反(約12m)の反物の妖怪だ。



駅前の観光交流センターにも多くの妖怪グッズが販売されていたが、コンビニにもTシャツ、マグカップ、お菓子、カレー、サイダー、そしてマスクなど、多種多様なグッズが販売されている。



あまりの暑さのせいか、相当な発熱をしていたスマホが機能停止してしまった。おそらく歩行軌跡アプリは停止してしまっただろうけど、別のスマホで写真だけは撮影続行だ。ギフトショップの前に舌を出した一つ目小僧がいる。



続いては油坊が火を吹いている。焼肉屋さんの前なので、ちょうどお似合いだ。福崎の町って、何故か精肉屋さんと焼肉屋さんがやけに多いように感じる。



福崎町役場にやってきた。「福崎町」と同じくらいの大きさで「民俗学者柳田國男生誕の地」の文字が役場の建物に掲げられている。



市役所近くにあるスーパーの前には、買い物をする主人を待つかのようにスネコスリが佇んでいる。犬の尻尾部分が巻貝になっている見たことも聞いたこともない妖怪だ。雨の日に現れて、人の股の間をスルリと通り抜けるらしい。



ステーキハウスの前にいるのはサーフィンを持った海坊主だ。顔が青くて体は茶色い。それぞれの妖怪ベンチには原型師(デザイナーのことか)の名前のプレートが貼られているが、原型師はひとりではなく、全国各地どころか台湾からの名前まである。



観光協会の前では河童が将棋を指している。福崎の人には将棋好きが多いようだ。町のマスコットキャラクターは緑の河童(フクちゃん、サキちゃん)だけれど、妖怪系河童は赤河童で統一している。



古くからの大庄屋屋敷や郵便局などが並ぶ。ここは生野銀山から姫路飾磨港までの「銀の馬車道」の一部だ。そのせいか舗装のグレードがちょっと高い。銀の馬車道はいつか歩き通したい道だ。



鈴の森神社の絵馬看板の前のベンチにいるのは油すまし。もっとズングリムックリとした体形のイメージが強かったのだけれど、ここの油すましは随分と痩身だ。



辻川山公園の池にも大仕掛けがある。15分おきに河童のガジロウが池から登場するのだ。なんとガジロウはこの池と駅前の水槽との間を秘密の水路を通って15分おきに行き来しているという。1キロ半を数分で泳ぎ切ることになる。さすがは河童だ。



釣り人への警告も洒落が効いている。「この池の魚を持って帰ると良くないことが起こるきがする…」んだそうだ。



辻川山公園には、「柳田國男妖怪企画、全国妖怪造形コンテスト」の優秀作品がいくつも設置されている。相当な力策揃いだ。



こちらも大仕掛け。15分おきに高床倉庫の扉が開いて、逆さ天狗が公園の上に張られたケーブルを伝って空中移動してくる。福崎名物の「もちむぎどら焼き」を手にしている。



公園の奥には歴史民俗資料館と柳田國男記念館、そして元は銀の馬車道近くにあったものを移設した柳田國男の生家がある。2K+土間+納戸に両親と8人兄弟。豊かな暮らしぶりとは到底思えないが、兄弟全員が学者や軍人として名を成していることには感服する。



喫茶店の前にいるマスクをした子啼爺。良くも悪くも広い世代に渡って日本の妖怪は水木しげるのゲゲゲの鬼太郎の影響力が極端に強く、最早ステレオタイプ化している。特に子供たちにとっては福崎のどの妖怪にも違和感があるのではないかとも感じる。



東エリアをコンプリートして再び市川に戻ってきた。この駒が岩のあたりで國男少年は水遊びを楽しんでいたらしが、水死する子供も少なくなかったそうで、それらは河童のガジロウの仕業と言われていたらしい。



駅の西側の大学にひとつ遠く離れてもうひとつ妖怪ベンチポイントがあるようなのだけれど、あまりに暑くて降参だ。お気楽な街歩きのつもりだったけど疲労困憊だ。かなり手の込んだ福崎町の妖怪マンホールを写真に収めて帰路につく。



スマホがオーバーヒートで機能停止してしまったので途中で歩行軌跡記録が止まっている。残りはフリーハンドで書き足したものだけど、歩行距離はおそらく10㎞弱。幸い帰路の冷房が効いた列車内でスマホは再起動してくれて、データも無事だった。



基本的に添付する写真は25枚までと決めているのだけれど、今回はカットが難しく28枚にもなった。たまにはいいだろう。