神戸秘境探訪 淡河(神戸市北区)

2020年8月27日


神戸市のほぼ北端にある淡河(おうご)を訪問する。神戸の沿岸七区のどこよりも面積が広い町だというのに人口は2700人、交通の便も極めて悪い。三田、三木、岡場などの駅からのバスも、本数は少ないうえにバス停20個くらいも進まなければ辿り着かない。



神戸電鉄三田線岡場駅からのバスで淡河町に向かう。駅前の神戸市北区のカラーマンホールは明らかに有馬温泉をデザインしたものだ。神戸市域の40%以上を占め、観光やハイキングの適地も多々あるはずなのに、北区のPRのほとんどは有馬温泉と六甲山だけだ。



まずは淡河町の東端にある石峰寺に向かう。「しゃくぶじ」と読む。そこそこの高地だとは思うのだけれど体感的にはこの夏一番の暑さに感じる。スタート早々からスマホの具合が悪い。先が思いやられるぞ。



石峰寺は孝徳天皇の勅願寺。有馬温泉が大好きだった孝徳天皇だけに北神戸への思いも強かったのだろうか。大化の改新後にいやいや即位させられ、中大兄皇子の傀儡に甘んじたとも言われるだけに、本心では天皇などにならず穏やかに暮らしたかったのかとも思う。



以前から、ここの三重塔が素晴らしい、との話を聞き、一度訪問してみたかったのだ。人っ子ひとりいない境内で、蝉しぐれの中で重要文化財にもなっている優雅で重厚な塔の姿に見とれる。多数の羽虫に顔が襲われ続けることさえなければ、もっと見ていたかった。



本殿や薬師堂の周囲にはモミジの木が多い。秋になれば紅葉に彩られてさらに美しい風景になることだろう。



石峯寺の参道には、いくつかの寺院が並んでいる。いずれも石峯寺と同じ真言宗のお寺なので、塔頭だったのかもしれない。同じく北神戸の太山寺(こちらは西区だけど)の塔頭でも見かけたけれど、ここでも茅葺屋根のお寺が見られる。



石峯寺から淡河に向かう道は、神戸市の「太陽と緑の道」にも指定されているようで、古いゴミ箱が今も残っている。「太陽と緑の道」はいい道をピックアップしていると思うのだけれど、長らくメンテナンスを放置したままだ。ぜひ再整備してもらいたいものだ。



同じ道が近畿自然歩道にもなっている。まだしもこちらの方が標識類はしっかりしているのだけれど、あまり適当なガイドブックには出会えない。兵庫県のHPに載っているごく簡単なイラストマップだけでは10㎞も20㎞も歩く気にはなれない。



想像はしていた以上の田舎だ。ここが100万都市神戸だと思える人はまずいないだろう。多くの都市は密なところばかりをアピールするけれど、このような疎のエリアも魅力たっぷりだ。密と疎の双方を兼ね備える神戸ももっとこんなところを自慢してもいいはずだ。



しばらく田園地帯を貫く県道を進むが、とにかく暑い。車の通行もあまりない。建物も信号も、そして飲料自販機もほとんど見当たらない。



県道歩きに疲れて、淡河川沿いの道を行くことにする。この先ずっと西で加古川へと合流する川だ。気持ちのいい水流で、ちょっとは涼しさを感じることができた。



残念なことに川沿いにはあまり道が整備されていない。地図で見つけた曇ヶ滝を楽しみに歩いていくが、険しい段壁のため川辺に下りていくことができず、滝の上にある小さな神社からフェンス越しに覗き込む。実にいい感じの滝なんだけどなぁ…。



川沿いに進むことを諦め、日光の直射を100%浴びながら田園の中の農道を進む。田んぼは広いのに、家屋はほとんど見当たらない。大都市近郊農家としてはかなり広大な作付面積を有しているように感じる。しかも最高級の山田錦の産地と聞く。



淡河町を東西に貫いている山陽自動車道の橋脚を潜り、北に向かう。淡河には高速入口は無いけれど、サービスエリアがある。悲しいことだけど、このサービスエリアのお陰で「淡河(おうご)」という町の認知度が多少は保てているように思う。



山陽自動車道の脇道を西へと進む。高速道路と一般道との間には低いフェンスとごく狭い緑地があるばかりだ。何か高速道路を舞台にした犯罪トリックの現場にもなりそうなところだ。



田んぼに囲まれて茅葺屋根の屋敷が立っている。周囲には防風林も施した教科書などにも紹介されるような典型的な農村風景だ。調べてみると全国には未だ10万件ほどの茅葺家屋があるらしいけど、実際に生活が営まれている家はさほど多くは無いように思える。



北僧尾農村歌舞伎舞台。現存する国内最古の農村舞台だ。江戸時代、農民の娯楽と神社への奉納を兼ねた歌舞伎や浄瑠璃が催されたという。かつて北神戸には15もの農村舞台があったそうだが、天保の改革で粛清された大阪の芝居関係者が多く流入したからだと聞く。



北僧尾を後にして南に進んでいくと東播用水の陸橋が現れた。水不足に悩む東播磨の農業のため、ダムやら水路やらが広域にわたって作られていて、どうやらこの水路は先般歩いた川代恐竜街道付近から繋がっているようだ。できるなら疎水に沿って歩きたいものだ。



再び淡河川に出合う。確かにあらためて見ると、広大な田園を潤すには水量が心許ないように感じる。



淡河の中心部にやってきた。淡河はかつて湯ノ山街道の宿場町だったところ。西国街道の裏道とはいえ、各地からの有馬温泉への湯治客で賑わったそうだ。本陣跡が今も残っているが、風情と重厚感のある建物を活かしてカフェなども開設されているようだ。



本陣前には古い石標が残る。年号は読み取れないが、江戸時代のものだと思える。「南 山田・兵庫」、「東 有馬・大坂」、「西 三木・姫路」と書かれているようだ。貴重な史跡だけに、もう少しだけでも電信柱をずらして立ててもらいたかったものだ。



淡河城跡。町の中心となる道の駅の裏山のようなところにポツンと復元櫓が立っている。赤松系だった淡河氏の本城だったものが、1579年に羽柴秀長により落城とある。三木城攻めの最中だ。おそらく別所氏などとともに反織田の一翼を担っていたのだろう。



今夏一番と暑さと思われるなかを12㎞、よく歩けたものだ。日射は強くとも人や車からの熱をあまり感じることなく歩けたこともあるけれど、交通の便が悪くて淡河のバス停まで歩き通さないと帰れないという崖っぷち状態でなければ途中で止めていただろう。