伊丹散策(稲野~昆陽池~阪急伊丹)

2020年8月3日


伊丹市のウォーキングマップを手に入れた。猛暑のなか、比較的平坦な伊丹ならば少しは楽に歩けるだろう。既に何度も訪問している有岡城、スカイパーク、昆陽池といったメジャーどころを外して未知の道を歩いてみたい。



出発は尼崎市との市境にも近い阪急稲野駅。阪急伊丹線は終点の伊丹駅周辺を覗いては地上線、しかもほぼ直線。静かな住宅街に建つ稲野駅前の道路も狭い。梅田から数えてわずか6駅目とは思えない昭和風の駅だ。



駅から暫く歩くと御願塚古墳がある。長らく「おねがいづか」だと思っていたけど、正しくは「ごがづか」らしい。樹木や周濠はよく整備され、庭園のような親しみやすい雰囲気だけど、天皇陵にも匹敵する二重濠を持つ規模の古墳だったそうだ。



新幹線の高架下を西に向かう。いたみウォーキングマップで紹介されている「有馬古道コース」を歩いているんだけれど、古道とは程遠い雰囲気の道が続く。



新幹線沿いの道を離れて北西方向に向かう。道の幅や微妙なカーブは旧街道っぽいものの、史跡も無い住宅街が続くばかりで、かつて大阪から有馬に向けて多くの人が行き来したというイメージは全く沸いてこない。



「瓦斯輸喞筒寄贈者記念碑」なる立派な石碑がある。この地区へのガス供給のためのパイプかポンプのようなものを寄贈した記念碑らしい。あまり見かけない類の記念碑だけど有馬街道とは無関係。炎天下を歩き続けるモチベーションを保つことが難しくなってきた。



電車の駅からは不便なところだけれど田畑は見られない。近年住宅地への転換が急速に進んだことが窺われる。公園の一画に小学校の「米作り体験」の僅かばかりのエリアが残されているばかりだ。



有馬街道に関わる遺跡にひとつも出会うことなく旧西国街道と交差する。あまりに退屈な有馬古道コースに見切りを付けて、昆陽寺方面へと進路変更する。



昆陽寺の山門。行基が開基した伊丹を代表する古刹だ。今も地元の人たちは昆陽寺のことを「行基さん」と呼んでいる。織田信長の有岡城攻めで焼失したが、江戸時代初期に再建されたという。



防犯カメラが多く見られる。特に賽銭箱周辺をカメラが重点的に睨みを利かせているように見える。なんとも世知辛いことだけど、賽銭泥棒などの犯罪が多いのだろう。それにしても監視されていると思うとどうも落ち着いてお参りできない。



裏庭には多数の石仏が並んでいる。超縮小版の四国八十八ヶ所お遍路参りのなっている。10分もあれば結願できそうだ。



昆陽寺横のアパートの名前は行基コート。洋風の名前が圧倒的に多い集合住宅に奈良時代の偉人の名を付けるとはユニークでもあり恐れ多いようにも思えるけれど、伊丹駅近くには行基町なんて地名もあるし、この地の人は行基に特別な親しみを持っているのだろう。



昆陽池公園にやってきた。池の中の島々が日本列島の形に作られていて、伊丹空港から離陸する飛行機から見下ろすことができる。もっとも池の畔からでは、どこが本州やら北海道やらさっぱり判らない…。



公園の案内図をもとに、あらためて池の中に浮かぶ島々を観察するが、やっぱり見分けがつかない…。



池の周囲のアチコチには落羽松の呼吸根が見られる。昆陽池に来るたびにこの不思議な風景に魅入ってしまう。



公園のなかの歩道を周回していく。舗装はされていないけれど車椅子でも大丈夫そうな真っ平な道だ。



昆虫館。以前奈良橿原の昆虫館で蝶の温室に感動したものだ。伊丹昆虫館の蝶の温室ももなかなかのものらしいけど、未だに入館したことがない。



暑いし、ジメジメするし、ウォーキングマップなどどうでもよくなってきて、阪急伊丹駅へと向かう。昆陽池の周りの歩道は舗装道と未舗装道の双方がある。さらに自転車道も別にある。しかし涼し気なはずの池沿いの未舗装道もこの猛暑には太刀打ちできない。



昆陽池周辺など歩道も充実しているけれど、自転車道もかなり広く確保されている。ビビッドな青い塗装がちょっと目立ちすぎかとも思うけれど、これくらいはっきりさせないと自転車も安心して走行できないのだろう。



伊丹市役所。今の庁舎の横を更地にして新しい庁舎が建設されるらしい。



フラフラになりながら阪急伊丹駅に辿り着いた。阪神大震災で大きな被害を受けた駅舎はすっかりとリニューアルされ、ターミナル駅に相応しい立派な駅になっている。



もはやどこにも寄り道する元気もなく、開通100周年を迎えた阪急伊丹線で帰宅する。



本日の歩行軌跡。11㎞とはいえ、酷暑のなかでのウォーキングはきつかった。大部分が舗装道路になる街歩きより、多少アップダウンがあっても地道を歩ける里歩きの方がまだ体へのダメージが少ないような気がしてきた。