2020年8月1日
東経135度と北緯35度が交差していることから「日本のへそ」を標榜している西脇市にやってきた。今日は一度は訪問してみたいと思っていた「日本へそ公園」から奇観「闘龍灘」まで、西脇市内の気になるところを北から南へと歩きとおしてみよう。
JR加古川線の「日本へそ公園」駅にやってきた。単線で改札さえ無い駅なので壁は不要なのだけど、日本地図における「日本のへそ」を示すイラストが描かれた壁がある。お店も住宅もない駅前には、立派な意匠を施した岡之山美術館だけがポツンと立っている。
しばらく歩くと、まず日本へそ公園のエントランスから続く街路樹の美しさに圧倒される。科学教育施設中心の公園と思っていたのだけれど、自然や芸術との触れ合いや子供たちのためのユニークな遊具なども揃った、相当力の入った総合公園であることが判る。
方位の広場。西脇を中心とした地球が描かれている。ちょっとしたイベントも開催できそうだ。園内には他に野外ステージやアミューズメントエリアもあって、相当数の集客ができるようになっているんだけど、アクセスが悪いなかでの入場者数が気になる。
宇宙に向けて何かのメッセージを発信しているかのような、摩訶不思議なデザインの建物がひときわ目を惹く。これが西脇自慢の「にしわき経緯度地球科学館・テラドーム」だ。
「日本のへそ」は測量の進歩に伴い、少し移動しているらしい。最新の「へそ」は小高い丘の上にある4本の柱の中心にあるらしい。登り口が見当たらず登頂は断念したけど、後で調べると登山道があったようだ。惜しいことをした…。
公園の南端には、かつての里山の風景を再現したような水車小屋なども設置されている。一気に歩きとおしたけれど、のんびりと休日を過ごせそうなところだ。
広大なへそ公園を南に抜けて、比延地区の街にやってきた。決して古い建物ばかりではないのだけれど、新しい家屋も含めてほとんどの建物は瓦葺きだ。とても落ち着いた街の佇まいだ。
元々は古い役場か学校だったのではなかろうか。レトロで可愛い建物が今は公民館として利用されている。文化財になっていても不思議ではないと思えるんだけれど説明板さえ見られない。古いものが多く残る地域だけに、この程度の建物は珍しくもないのだろう。
長い塀で囲われた大きなお宅が多く見られる。こちらは農業を営んでおられるようで、立派な門の前にトラクターが駐車されている。都会からの来訪者にとっては、ちょっと滑稽な風景だ。
西脇から瀬戸内海までは直線距離でも40㎞近い内陸部なんだけど、市内を貫く加古川の川幅は随分と広い。鉄道が敷設される前から、産出された米や織物などが容易に運搬できる水運に恵まれた街だったようだ。
西脇の中心部にある西脇城跡を訪問する。室町期には珍しい平城だ。戦のための城ではなく地域統治のための政館だったのではなかろうか。城主は赤松氏傍流の高瀬氏だったというが、市内を歩いていると今でも高瀬という名の店や会社が目に付く。
西脇出身の芸術家、横尾忠則の代表作ともライフワークとも言われる「Y字路」の原点がこの椿坂Y字路なんだそうだ。「Y字路シリーズ」とまで呼ばれるほど、幻想的な色彩を駆使した多様な作品があるけれど、その多くが椿坂の風景をベースにしていることが判る。
播州織工房館を訪問する。元々は工場であったところを展示館として開放し、製品の即売もしているところだ。ショールやらワイシャツやら最近ではマスクなど様々な綿製品が並んでいる。加古川の水を利用した先染めによる鮮やかな色彩が播州織の特長だ。
来住家住宅。綿糸を扱う豪商で銀行も設立するような地域きっての名士だったそうだ。この豪邸は大正期の建築だけど、最高級の材料に加え、釘を一本も使っていないという高度な建築技法が用いられているという。建築費は現在価値で54億円というから驚きだ。
来住家住宅の受付では「日本のへそ到達記念書」を発行している。う~ん、10年前なら喜んで買い求めていただろうけど、最近ではこの種のものが増えてきてキリが無くなってきた…。
西脇の中心部からJR西脇市駅は随分と遠い。もともとは西脇市駅(もとは野村駅)から分岐した鍛冶屋線が西脇の中心部を通っていたのだけど30年ほど前に廃線になってしまった。おそらくこの歩行者専用道はその廃線跡に違いない。
JR西脇市駅。加古川線ではこの駅止まりの列車が多いので、西脇の中心地と思っていたのだけれど、市中心部とは離れた静かな駅だ。
加古川を渡り長明寺にやってきた。境内には平家政権下にあって源氏で唯一厚遇された源頼政の墓や鵺退治の像がある。どうも気になるのが頼政の弓の引き方。弦を右手の人差し指と中指の2本で引いているんだけど、和弓の基本とは随分違うような気がする…。
結局源頼政は以仁王と共に挙兵し宇治で平家に敗れるのだけれど、墓はアチコチにあるようだ。しかも、どうやら頼政と西脇を繋がりは不明らしいが、この地では長年武勇に秀でた頼政を称え、頼政池と名付けられた池の周囲には頼政の歌碑なども多く建っている。
長明寺からさらに南へ、加古川に沿って、豊かな田園地帯を進む。稲は太陽の強い光を浴びて青々と育っているようだ。
西脇市の南隣、加東市に入る。2006年に社、滝野、東条の3つの町が合併してできた市だ。このあたりは元は滝野町だったところだ。
加東市に入ると間もなく、目指す闘龍灘が現れた。一体どういうことなのか、広い加古川がこの地帯だけ、火山岩(たぶん)で半ば封鎖されている。加古川水運における難所だったようで、ここでは船荷を一旦陸揚げしなければならなかったそうだ。
闘龍灘の下流部に回り込んでみる。わずかな開口部を目指して加古川の水が勢いよく流れ込んでくる様はなかなかの迫力だ。川辺から眺めるだけかと思いきや、激流に立ちはだかる奇岩・巨岩の上まで歩いていくこともできる。もっと注目されていい景勝地だ。
JR加古川線の滝駅から帰路につく。駅舎らしいものはなく、雨よけの屋根があるだけのごくシンプルな造りだ。ちょっとややこしいことに、滝駅の次は滝野駅だ。
西脇市内は見どころが多く、思いのほかアチコチと寄り道をしたため随分とゆっくりしたウォーキングだったけど、炎天下のなか約16㎞歩くとさすがに疲れた。